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「古書目録」について4

円満字先生講演会場から見た八木鼻


写真は、三月中旬に諸橋記念館2階から見た風景です。

今では、庭園内の雪は消え、雪囲いも外されています。



さて、諸橋記念館蔵の「古書目録」についてです。


「古書目録」の前言によりますと、「諸橋博士の蔵書二万余冊は、太平洋戦争末期に文化財保護のために当時の東京都教育局に買い上げられ東京都立日比谷図書館に収められ戦禍を免れた。『東京都立日比谷図書館諸橋文庫』(昭和三十七年)が出ている。また、百国春秋楼蔵書(春秋関係書二百点、二千五百冊)は、静嘉堂文庫に収められている。」と、書かれてあります。


なるほど~ (^^)”


前言には続けて「したがって漢学の里諸橋轍次記念館の諸橋文庫の漢籍は、この二大コレクションの残余ということになろうか。博士が晩年まで身辺に蔵されていたものであろう。」と記されています。




ん~~、海たんは「漢籍研究會新潟地區會員」の先生方が整理整頓された後を少しづつ拝見しています。


海たんは、「東京都立日比谷図書館諸橋文庫」「百国春秋楼蔵書」を拝見したことが有りませんが、諸橋記念館の蔵書は「鷄肋」というべきものでしょう(^0^)


この鷄肋に、新たに中国関係の蔵書を増やしていければ、ひょっとすると佳いスープが沢山採れるのかもしれませんね(^0^)



最後に、全員のお名前はお書きいたしませんが「漢籍研究會新潟地區會員」の先生方、本当にご苦労様でした。



海たん





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「古書目録」について3

「漢学の里 諸橋轍次記念館藏古書目録」をPDFでアップしました。


この目録の前言によると、諸橋文庫の漢籍は次の通りです。


「経部七八点、史部三九点、子部八四点、集部三二点、叢書部一点、新學部四八点、総計二八二点である。」と書かれています。



この目録の前言には、「手沢本が十余点あるが、いずれも毛筆細字でびっしりと書き込まれ、博士の研究の過程を知るに好個の資料である。」


とあり、更に続けて「『論語会箋』『唐詩訓解』『老子全解』『訂正康煕字典』…」 他の書名が紹介されています。



私も、一部拝見させていただいて驚いたのですが… 

本当にきっちりと書かれてありました(^^)”



つづく



うみたん








「古書目録」について2


「漢学の里 諸橋轍次記念館藏古書目録」をPDFでアップしました。


この目録の前言によると

「諸橋文庫の由来は『諸橋轍次博士の生涯』によれば、郷土の下田村に心を寄せる博士が昭和四十三年に蔵書三千余册と金百万円を寄贈されたことに始まる。村では公民館内に諸橋文庫を開設すると共に諸橋基金を設置して運用益から図書を購入してきたという。」


* 現在、下田村は合併して三条市となっています。


さらに目録の前言には、


「記念館完成後、博士の長男諸橋隆典氏から博士旧蔵の資料と遺品を多数設置されたが、諸橋文庫の漢籍は殆どがこのときのものである。その後、諸橋文庫は公民館から記念館へ移され、現在は図書館として公開されている。」


と、記されています。



諸橋一族は、郷土を愛しておられたのですね~ (^^)



つづく



海たん





「古書目録」について 1



「漢学の里 諸橋轍次記念館藏古書目録」をPDFでアップしました。


この目録は、前言によると「平成九年八月二十二日から三日間、漢籍研究会の夏季研修会と総会が漢学の里諸橋轍次記念館を会場として開催された。目黒館長のご好意で目録演習に同館所蔵の諸橋文庫の漢籍を使用させていただいた。」とあり、諸橋文庫の漢籍調査のきっかけが書かれています。


平成十一年三月から平成十四年十二月まで、八回にわたり来館されて調査をされました。

関係者のご努力と熱意には頭が下がります。


最終的に、平成十六年九月一日に発行(非売品)され、編纂者は金子芳雄、高橋良政の両氏です。


次回は、もう少し目録を覗いてみましょう(^^)



海たん






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新潟県漢詩連盟ブログ『粤の国から』
「えつのくにから」と読みます。

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